障害受容が困難で、抑うつ状態を呈する利用者とその主介護者を含めたケアプラン

障害受容が困難で、抑うつ状態を呈する利用者と
その主介護者を含めたケアプラン

社会福祉法人 白寿会
ライフサポートセンター白寿苑
三浦 浩史

夫婦のケアプランの場合、2人の関係性が重要

 社会福祉法人 白寿会は、大阪市西成区内にあり、高齢単身者・被生活保護世帯や行政課題を抱えた社会的援護が必要な人を多数利用対象者とし、活動しています。

 今回の事例は、この地域の中でも比較的裕福な世帯の事例です。病前は、同居生活でしたが、すれ違いの生活をしており、病気をきっかけにもう一度2人での夫婦生活を開始する事となりました。主介護者である妻は、いままで、家事をほとんどしたことがなく、利用者である夫は、仕事中心の生活で、妻と食事をすることも少ない生活でした。この2人が、介護を含めた新しい環境の中で生活を開始しました。

 在宅生活を開始する時、妻は、毎日家事を行わなければならない負担と介護への不安、自分自身の体への不安がありました。夫は、自分の障害への苛立ちと仕事ができないやるせなさが交差していました。

 この2人の気持ちが日々変化し、それが生活へ徐々に影響していくと、夫は抑うつ症状を徐々に強め、妻は悲しみと怒りという形で表出するようになりました。

 今回の事例を通して、利用者と主介護者の気持ちをいかにタイムリーにくみ取り、目標設定を随時変化させ・関係者と統一の認識を高めていくかを改めて勉強させていただいた事例です。また、障害受容のそれぞれのステージに、どのように取り組む必要があるかを学んだ事例でした。

事例の概要

利用者:夫 N.S.さん 80歳 男性

主介護者:妻 K.S.さん 79歳 女性

既往歴:夫が、2000年5月に、脳梗塞(右片麻痺)で倒れ、入院。2000年12月末に退院となり、サービス開始となる。

妻は、糖尿病と両膝変形性関節症がある。

身体状況及び経過:夫は、退院時車椅子生活で要介護4

退院当初、夫の職場(自営)に近く、車椅子生活を行いやすくすることを考慮し、賃貸マンションを借り、住宅改修と福祉用具にて、環境設定を行った。入浴は、要介助であったが、移乗は、手すり使用にて自立し、トイレも徐々に自立していった。生活リズムも安定していき、歩行訓練などリハビリを行うことにより、可能なセルフケアが増えてきた。

その後、様々な具体的生活課題により利用者の精神・身体状況に変化が起きてきました。

家族状況:住環境整備と利用者の復職を願い、自宅ではなく、職場に近い賃貸マンションに居住し、夫婦で生活を開始した。長男が、自営の仕事を継承し、長女と長男夫婦が副介護者として、生活支援している。

「よくなりたい」という希望へ向かって進んでみたが‥

2000年5月に発症以降、病院入院中から退院に向け、介護支援を開始し、本人と妻、そして家族の意向などを検討し、住環境調整と在宅生活への準備(ヘルパーによる入浴介助など)を進めていきました。

病院より退院後、リハビリへの通院もしくは自宅でのリハビリを指導され、これをケア計画と目標設定の中に位置づけた。(プラン1参照)

 退院当初は、妻は慣れない介護に頑張るが、長女より介護方法に対して指摘を受け、精神的な苛立ちと自分への腹立たしさをケアマネージャーへぶつけていた。妻をはじめ、家族全員の介護への認識が異なることがわかり、共通認識を形成するため、家族会議にケアマネージャーが入り、説明をし、同時に、ヘルパーと連携し、妻への具体的介護法などをトレーニングすることにより徐々に改善されてきた。

 また、本人は、障害への苛立ちと仕事復帰への葛藤を常に持ちながら、在宅生活を送っていた。さらに、不眠傾向があり、睡眠導入剤を服用していたが、主治医の指示により、制限していった。

 これら、生活上の場面・場合の課題に1つずつ対応し、改善していくことにより生活が安定し、利用者のADLも向上し、移乗(ベッド⇔車椅子、車椅子⇔トイレ)も自立してきた。この時点で、要介護3になる。

利用者に変化が現れる(障害受容の壁)

2001年6月頃より、排便間隔が不安定になり、尿閉も出現し、また、痛風の再発が起こり始めた。

医師の往診などにより対応し、排泄も改善、痛みも軽減してきたが、移乗動作が極端に低下し、トイレと食事のときの移乗に介助が必要となった。

この頃から、本人に対する妻の言葉が強くなり、この対応に不満な長女から妻への言葉も強くなっていきた。

2001年7月に、脳外科の主治医より、障害はこれ以上改善しないことを告げられた。

利用者本人の気持ちを聞き、本人の思いをプランに生かせるよう、また、意識的に本人の思いを家族にも伝えるようにしてきた。

また、この頃より、本人の発語が極端に減少し、病院への不満などを口にするようになり、生活・リハビリへの意欲が低下してきた。

状況の変化に合わせ随時、小規模サービス担当者会議(サービス関係者間)を数回行い、サービスの調整を行うようになった。

サービス担当者会議にて、サービス変更を行うも‥

ADLが著しく低下しはじめ、移乗が自立から部分介助、半介助となり、妻への負担が増加し始めました。主治医と担当PTの意見は共通し、「身体能力としては、歩行器歩行も可能であるが、精神的な意欲低下による能力低下を呈しています」であった。

全体サービス担当者会議(関係者全体)を行い、2001年8月より、プランの変更を行った。(プラン2参照 火・木・土曜日は、妻の意向により、サービスは入れていない。)

 朝、利用者の身体清潔、更衣、トイレ誘導などを行い、夕方週3回入浴介助を行うというものでした。また、利用者のプロセスレコーダーを取り、気持ちの変化を見つめ、利用者理解に努めた。同時に、妻の介護保険認定申請を行い、妻の支援について検討を始めた。

 2001年10月には、トイレ移乗、入浴がほぼ全介助となり、排便も不安定となり、利用者の発語もますます減少し、睡眠導入剤の副作用にて幻覚症状を呈するようになってきた。妻は、介護に疲れを強く訴えるようになり、妻への介護支援・ケアプランを開始した。

妻にアクシデント発生

2001年12月末に、本人がショートステイ中に妻が外出時転倒し、怪我を負った。これから、妻による移乗などの介助が困難となり、食事はオーバーテーブルで行い、排泄は、オムツと尿瓶対応となった。

 利用者の身体状態は安定しているにもかかわらず、ADLは低下し続け、精神科から、うつ病の診断を受け、意欲を向上するよう投薬も開始された。

 このころには、利用者の感情表出がなくなり、1日中ベッド上で、寝起きしているようになり、ヘルパー、PTが話しかけるが返事のみとなり、抑うつ症状を強めていった。

 2002年2月には、妻の怪我が改善し、以前のように介護できるようになるが、妻の生活への不安が強くなってきた。

 ある日、長女が、膝も悪く、不安定な歩き方をしている妻の歩く姿をみて、「この体で、がんばっているいるのか」と悩み、困惑し始めた。

 2002年5月に、利用者の状態は改善せず、要介護認定更新にて要介護5となる。

サービス担当者会議にて、ケアの方向性・援助目標を変更すると‥

家族も参加した担当者会議にて、妻と長女へPTより、ADL向上は困難であり、今後はご夫婦の生活を大切にするようにアドバイスされ、妻と長女は困惑しつつ、現実の打開のため、今後の検討を行った。長女は、父親への理想像を追い求め、「どんな苦悩にも立ち向かう姿を見せてほしい」という気持ちを、ここで方向転換した。妻も、がむしゃらによくなってほしいという気持ちから無理をした生活を送っていたことに気づいた。ここで、利用者夫婦に必要なものは、身体状況の改善ではなく、生活の改善であり、目標を、ADL向上から生活のゆとりへと変更し、サービス内容も変更した。(プラン3参照)

現在では、長女の<妻への期待と妻としての義務のような気持ち>が妻の怪我をきっかけに変化していき、妻と長女の関係にも変化が訪れた。長女と妻は、利用者の介護をきっかけに喧嘩が絶え間なかったが、この時期を境に、互いを理解し始め、妻は気持ちのうえでの大きな協力者を得ることになりました。

また、食事を1日3食摂取すると、1食1時間はかかり、朝食から昼食までに間隔があまりなく、身体的負担と利用者からすると強要されているようになるため、昼の配食サービスを中止し、1日2食の生活とした。朝の身支度をしてゆっくり朝食をとり、PM3:00から入浴、休息後夕食とした。これにより、利用者と妻に時間的ゆとりができ、精神的な余裕が生まれ、利用者への強い言葉が激減しました。妻は、「夫への気持ちが、改善への努力から一緒にゆっくり暮らしていくよう切り替えることができ、気持ちがスーッと軽くなりました」と私に言われました。

同時に、ヘルパーも、ゆっくり利用者と関われるようになり、利用者の気持ちを引き出せるようになり、今では、利用者が笑顔を取り戻し、反応もよくなり会話が進むようになっています。これが、寄り添う介護の必要性の一端といえます。

さらに排便が、下剤や浣腸を使用して行っていたが、今では、病前から服用していた漢方薬のみで、各日で時間も一定にできるようになりました。現在、トイレ誘導にて排便可能となっています。

なにより、家族との外食もできるようになり、中華料理を1人前食べ、うれしそうに「楽しかった」と言われるようになりました。

この事例を通して

脳梗塞発症後7ヶ月ということであり、リハビリによるADL向上を中心目標としたケアプランを当初行ってきたが、それが利用者と妻の関係を悪化させる結果になってしまいました。介護支援に大切なことは、マネージメントではなく、利用者と家族の理解です。言葉では表現されない利用者や家族の価値観や思いを拾い上げていけるようなソーシャルワークが必要であることを教わった事例でした。

 ケアマネージャーに必要な介護支援技術は、サービス調整より、介護支援が生活支援の一部であることを認識しつつ、利用者世帯の生活を理解し、援助目標と役割分担を利用者に合わせて的確に行うことです。そのため、第1表から第3表があり、担当者会議、モニタリングがあると思います。今後、事例から学んだことを大切にしていきたいと考えています。

今後の課題

障害の受容には、段階があり、それぞれのステージでどう援助を行うかが大切であり、①本人の気持ちの代弁 ②家族の気持ちのくみ取り ③本人と家族との調整がそれぞれのステージに存在し、それをタイムリーにフォローしていく必要があります。

この事例のみならず、ケアマネージャーには、利用者の代弁(アドボカシー)機能が必要となります。現在、ケアマネージャーのアセスメントには、ADLを中心に項目別の生活課題をいかに見つけるかが焦点となっています。生活課題へのマネージメントのみが業務のように位置づけられているため、サービスプランナーもしくは御用聞きとなってしまっていることをよく見かけます。利用者をいかに理解し、代弁できるようになるかが、実は生活支援・介護支援してきく上での中心となると考えます。