「僕が感動した医介連携」-Vol.1

「僕が感動した医介連携」-Vol.1


「地域で出逢う医療人たちとの連携、協働、そして友情のなかにケアマネジメントのさらなる可能性を見る。僕が感動した医療・介護連携エピソード集」

著者:村瀬崇人


 

「敷居」 小島研太郎(医師)


―問題は、僕が医者じゃないってことです。つまり

僕がそう言うと、そのドクターは豪快に笑った。

それは面白い。行きましょう。一緒に、と

ドアを少し開くと尿臭が混じった空気が漏れ出てくる。要支援2の夫と要介護3の妻、夫婦ともに認知症が進行し、しばらくして受診拒否、やがて介護サービスの拒否がはじまった。夫婦の微妙な勘所を掴んでいる介護支援専門員だけは何とか話ができるがモニタリングをつける度に危機感を抱く。医療機関には1年近くかかっていない。「大丈夫」と夫は言う。日付の古いアムロジピン錠は無造作に放置されていた。


「家族も病院も信用ならない。あんたは信用できる。ワシがダメになったらこいつを頼む」夫は、しばしばそういうことを僕に言った。室内の片づけをしながら、あるいは、妻のリハビリパンツを交換しながら、ならば、と受診やサービス再開を促すも上手くいかない。手詰まりかな、と思った瞬間、先日知り合った在宅医のことを思い出す。


「あ、連れてくるのならかまわないか? 医者を連れてくる。この家に」

僕がそう言うと、夫は少し戸惑って、よく分からないがそれならいいと言った。



そういうわけで、今ここに、僕と在宅医がいる。

医者と聞いていたのに白衣を着ていないとか、血圧は測らなくてもいいとか、この薬は飲まないとか、夫の訴えを受け止めつつ、また、時にはかわしながら診察が終わる。結局、1時間ほどが経っていた。先生のスラックスにはこの家の汚れの跡が残ってしまったが、とにかく長期受診拒否者の医療と介護はこれをきっかけに再稼働した。その後、約1年、1人の在宅医が、この夫婦を支えてくれた。

その後、僕がこの先生と多くの在宅医療案件に取り組みあっという間に3年が経った。その成果か、医療と介護の「敷居」について何か話してくれなどと地域で頼まれることも出てきた。

ただ、医療と介護の敷居という言葉を聞くたびに、あるいはそれについて語るたびに、僕は依然、伝えきれないもどかしさを感じてもいる。


違う、そうじゃない。僕たちが乗り越えないといけない敷居は、そこじゃない。

医療と介護は、支えあうことで、誰かを助け得る。必要とする人に医療や介護が上手く届かないという壁があるのなら、それもまた、共に乗り越え得る。少なくとも、僕たちは、その敷居を何度も乗り越えてきたのだ。


そういうことを誰かに伝えたい。最近、僕は確かにそう考えるようになった。


著者:村瀬崇人
主任介護支援専門員、社会福祉士、精神保健福祉士
まごころステーションすくらむ 代表